新説!所JAPAN 世界に誇る日本お土産文化の謎 懐かしの木彫りの熊と三角ペナントはどこへ?
日本のお土産の市場規模は、およそ5兆円
そのうち外国人観光客の購入額は、1.4兆円
1人当たり およそ46,000円も買っている計算になります。
函館空港限定販売のこのおしゃれな缶「函缶(KANKAN)」
地元の名産品を選び1つの缶に詰め、その人オリジナルのお土産が作れるなんとも粋なお土産缶詰です。
最先端の東京土産「ゴトプラ」
「東京」の2文字を切り離し組み立てると出来上がるのは「東京タワー」680円
「大阪(大阪城)680円」「富士山1000円」漢字に魅力を感じる欧米人に大人気のお土産
京都土産の定番
生八つ橋も、濃厚抹茶ソースにディップする本格スイーツに進化「生八つ橋フォンデュ」500円
日々、新しいお土産品が生まれる日本
しかし、外国人にはそんな日本の戸惑うほど数もバリエーションも豊かなお土産大国が不思議なようです。
歴史学者磯田先生によると
戦後期時代の宣教師たちも日本のお土産酒簡易驚いていたそうです。
どこの家を訪問するにも小さな贈り物を持っていく。
お土産と日本人 お土産の謎 大解明
日本人は、なぜお土産を配るの?
例えばニューヨークのいちばんいいお土産すぐ持って帰ってみんなに配れるのはチョコレート
日本人のために作っている!?
歴史学者磯田先生によると
江戸時代の庶民の旅といえば伊勢神宮など全国の神社へのお参りに限られ、みんながみんな旅に出られたわけではありませんでした。
旅行は、神様や仏様にお参りに行くことで許されて、ご利益のお持ち帰り 代参 代わりにのお参り お守りの持ち帰り
当時の旅、宿泊費や交通費更に食費もかさみ今の価値で安くても1日1万円はかかっていたそうです。
江戸ー京都 往復で30日として約30万円は必要だった。
そのため仲間内で旅費を出し合い費用を作り代表者が旅へ行くのが一般的でした。
代表者は、神宮大麻(伊勢神宮のお守り)といものを持ち帰る習わしがありました。
これが日本の旅土産の始まり、お金を出してくれた仲間に御利益を分けると同時にきちんとお参りしてきた証しにもなる。
更にもう1つ 代表者には持ち帰らねばならない重要なお土産「旅行用心集」江戸時代の旅のガイドブックがありました。
旅に出る際の注意点がおよそ90か条書かれその中に旅行をすると日記を書く事になっています。
旅路での出来事や見たもの食べたものなど日記に 事細かに記すのが当時のたしなみ
旅行の様子をお土産話として、随分期待されていました。
お土産をみんなに配る日本人ならではの行動は、江戸時代の庶民が培った旅のお約束から始まったんだね!?
定番お土産ブーム終了の謎
北海道みやげ 木彫りの熊
モデルは、たくましいヒグマ 鮭をくわえる姿を手彫りで作った北海道定番のお土産品
昭和30年代から40年代にかけ日本のご家庭ではこの木彫りの熊をテレビの上や床の間に飾るのが大ブーム
一家に一つ人気のアイデムで、ピーク時 年間10億円以上の売り上げがありました。
創業から103年の老舗土産物店「たぬきや」
木彫りの熊が今も売られているのか聞き込み
木彫りの熊(訳10㎝)800円 (30㎝)12000円 (90㎝)96000円 ぶどう食い熊145000円など今でも売られています。
40年前は、7割くらいが木彫り商品だったそうです。
1日大きいサイズでも50体うれたりし それだけで生計が成り立っていたが、今では1日10個ほど小さいものが売れるくらいだそうです。
職人も当時は、旭川だけで70人はいたそうで…今は…10人程度に…
昔は熊だけでもいけたが、今では熊以外も色々掘ってなんとやっていける程度…
なぜブームは終わった!?
八雲町木彫り熊資料館
木彫り熊 第1号から最新のものまで展示
平成26年(2014)にオープン
お土産品から芸術品まで木彫りぐまを200体以上展示
実は、スイスの木彫り熊を参考にして作られていました!?
実は、日本で木彫り熊が生まれた八雲町は、今の愛知県尾張藩の幕末の当主徳川慶勝が旧家臣を移住させ開拓した場所
その後、発展するも第一次大戦後の経済恐慌で農家の収入が激減し貧しい生活を余儀なくされました。
慶勝の2代あとの19代当主 徳川義親が夫婦でスイスを訪れた際、土産物として売られていたの発見し日本に持ち帰り、農閑期のふくぎょうになるのではと木彫りの熊を作るように勧めたのがはじまり。
その時に作られた北海道第一号の木彫り熊のモデルになったスイスの木彫りの這い熊も展示
第一号とスイスの違いはさほどありませんが目は、スイスはガラス、日本はクギ、当時八雲ではガラスがなかなか手に入らず釘で代用していました。
徳川義親が農民に自ら指導、そのためにヒグマの飼育もし参考にしていたそうです。
数年後にはオリジナルデザインの熊を作れるまでになり、例えば信州で人気があった工芸品スキー人形を参考にしたと思われるスキーをする熊(昭和初期作成)、大相撲のラジオ放送が開始され相撲人気が高まった昭和3年ごろには相撲をとる熊(昭和初期作成)、更に一番人気を誇るようになった鮭をくわえる熊も誕生し、木彫りの熊は八雲の特産品として次第に認知されていきました。
爆発的に火が付いたのは、戦後の商30年~40年の観光ブームで海外に行けないけど新婚旅行で北海道に行くってなったときにせん別返しとして木彫りの熊を50体も買って帰ったとか…
売れなくなった原因は…!? ブラウン管テレビが減少 木彫り熊を置くには絶好のスペース
薄型テレビに置き換わり熊の居場所が減少、住宅事情も変わり、もう1つの居場所だった床の間も減少していき木彫りの熊は置き場がなくなっていきました。
当時は、冷凍技術がはったつしてなかったので生ものは持ち帰れないし、ロイズや白い恋人なかったので木彫り熊しかなかった…
生活環境の変化とお土産の選択肢が増えた事が木彫りの熊ブームを終わらせてしまったんだね。
修学旅行みやげの定番!?のペイント
二等辺三角形の長さ80cmほどの旗に観光地の名前と風景が入った昔の定番お土産
1960年代~80年代に大流行し日本中にマニアが登場
集めるとなぜか円く貼るのが定番に
かつては 土産物屋さんが必ず置いていたペナント
老舗の土産店が並ぶ浅草 仲見世商店街ではもう扱ってないみたいです。
ペナントは、30年ほど前お土産店から消えていました。
神奈川県鎌倉市 間タオル
手拭いやタオルにプリントを施す会社
以前は、つくっていましたが…もう7,8年注文はないそうです…
最後に販売したペナントは、まったく売れずお土産売り場から返品されてしまったそうです。
人気のペナントを数多く作ってきたそうで残っていた貴重なサンプル
各地の観光都市から地方の温泉街まで日本全国津々浦々のペナント
昭和33年頃 読売巨人軍が前年までにリーグ3連覇を達成し、第2次黄金期真っただ中、日本中が空前のプロ野球ブームにわいていました。
大の巨人ファンだった先代の社長が試合を観戦した際、目に留まったのが優勝チームだけが掲げられるこの大きなペナント
それに観光地の絵柄をデザインしたものを印刷して売り出せばうれるのではと考えたのがはじまり。
第1号には当時 完成間近で話題性があった東京タワーを図柄として採用
野球と同じく ペナントと銘打ち販売したところこれが ほんとにうれにうれたそうです。
デザインは手描き デザインが決まれば何枚もつながった状態で印刷してから1枚1枚裁断、ここからが最も大変な手作業で周りに黄色いモールを縫い付け手作業でつけていき手作業で袋詰め。
プリント以外は、手作業で小売業者で200円
財布に優しいお値段が修学旅行生のお小遣いとマッチし、訪れた事を記念するお土産にぴったりだと人気に火が付きました。
更にマイカーブームで家族旅行が盛んになり、その勢いにも乗ってますます売れピークは1990年頃の万博EXPO90 国際花とみどりの博覧会
来場者2300万人は、大阪万博につぐ博覧会史上、第2位の来場者
最初に3000枚作ったものの即完売 6か月で3万枚以上 売れたそうです。
1990年代あるものが急速に広まりブームは突然 終わった…
多分ですけど… ’90年代半ばから携帯電話が急速に普及し携帯ストラップが大流行
このストラップに各地で ご当地ものが登場、値段も手ごろだった事もあり旅の証しとしてペナントが占め続けてきた座を完全に奪い取ってしまったのです。
ペナントブームを終わらせたのは携帯ストラップだったんだね。
国会議事堂の売店で販売している歴代総理のイラスト入りタオル360円
かわいくて 勉強にもなると学生に人気の お土産だとか
「間タオル」を支えていたのはペナントの時と同様修学旅行生でした!?
ファンシー絵みやげ
独特のタッチの2頭身キャラクターにローマ字で観光地の名前入りでキーホルダーだと300円ほど
バブル期に子どもたちを中心に大ブーム、キーホルダーだけでなくさまざまなグッズも売られ一世を風靡
かつては 全国どこでもお土産店で売られていましたが今は…東南アジアの人が忍者とかのを買うくらいで他は売れません。
日本人は ほとんど買わなくなったようです。
日本で唯一 ファンシー絵みやげ研究科 山下 メロさん
集めに集めたコレクションは1万1000種類
ブームは1980年~90年代前半 約15年位張ったそうですが…
武将などがいる地域は2頭身の武将のイラストをプリントしていますが、何もないところは狐だとか兎田とかを書いて都道府県を記載しているだけのキーホルダー
困ったらキツネを採用するファンシーみやげ 記念すべき第1号もキツネでした。
1978年公開の日本初の動物ドキュメンタリー映画「キタキツネ物語」
厳しい大自然を生きるキタキツネたちの姿に日本中が感動し、大ヒット映画に
その勢いに乗り、 地元北海道でキャラクター化したキタキツネのキーホルダーを売り出したところこれまた 大ヒット!
このブームに便乗し 日本各地でキタキツネをイメージしたファンシー絵みやげが次々登場しました。
もう一つ、民芸品を専門にしてたお店も修学旅行生でいっぱい子どもが来るから、子どもは木彫りの熊 買えないので、ファンシーみやげを扱わざるをえなくなり…でもバブル期ですので出せば売れてしまったわけです。
日光東照宮の有名な見ざる言わざる聞かざるの彫刻をファンシーにしたキーホルダー
ローマ字で「僕たち猿です、なぜこんあことしてなくちゃいけないのー」と彫刻の気持ちが書かれていた。
この時代、日本語を書く事がちょっとダサいみたいな感覚があってデザインにも英語が増えた時期なんだそうえdす。
売れに売れまくったファンシー絵みやげですがやはり ある時からぱったり人気がなくなったそうです。
ファンシー絵みやげもご当地ストラップでブームが終わったんだね。
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