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京都府民熱愛グルメ ケンミンの秘密 秘密のケンミンSHOWで紹介されたご当地グルメ

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京都府民熱愛グルメ ケンミンの秘密

ケンミンプライド「京たけのこ」22.4.28

・京たけのこの品種は、ごく一般的な孟宗竹
・だが、一般的なたけのこに比べて見た目が白く丸みを帯びているのが特徴
・特定の産地で収穫されたものが、京たけのことして流通している。
(嵯峨野・大枝塚原・大原野・西山エリアものをいう)
・京たけのこは、エグみ成分(シュウ酸とホモゲンチジン酸)の含有量が少ない。
・地中に完全に埋まっているものを収穫
・日光に当たらない=白くエグみが減り、甘みが増すという。
・さらに特別な土壌によって大きくやわらかく育つという。

京都産業大学・笹部昌利准教授の話
京都の竹は、1227年に中国に赴いていた曹洞宗の開祖・道元和尚が中国から竹を長岡京市の寂照院に観賞用として持ち帰った。
孟宗竹の発祥と言われている。
1830年~1850年頃に現在の長岡京市や日向市あたりの乙訓地域と呼ばれる所の丘陵地が竹を育てる最適な土地として、京たけのこの栽培が始まり食用にあてられるようになった。

大阪とはちゃうんやで!関西お好み焼き三都物語 22/3/3

【京都のお好み焼き】
・薄い生地の上に具材を重ねる「べた焼き(重ね焼き)」が主流
・薄くのばした生地にイカ、キャベツ、天かす、味付けした炒めた中華麺などを重ねて焼いた上に九条ネギ、卵をのせた「まんぼ焼き」が人気
・べた焼の進化系が”まんぼ焼き”

<日本コナモン協会会長・熊谷真菜さんの話>
お好み焼きのルーツは、”どんどん焼き”や”一銭洋食”お言われる明治大正にかけて食べられていたものから生まれたもの。
これらはすべて、「重ね焼き」のスタイル
昭和の初めごろに大阪で「混ぜ焼き」スタイルが生まれる。
混ぜ焼き=手軽なので全国に広がっていった。
一方、狂人の気質として、よいものは守っていくという発想で混ぜ焼きには至らず、昔ながらの”べた焼き”という独自の文化が残っている。
兵庫県では、高度経済成長期に労働者たちが、安く満腹感を得るため地元で愛されていた”ぼっかけ”を入れたすじ焼きを考案した。

県民熱愛グルメ 「あんかけ料理」22/2/24

・京都府民にとって、あんかけ料理の定番は「けいらんうどん」
・「けいらんうどん」とは卵、生姜、あん、うどんだけのシンプルなあんかけ料理
・京都では”たぬき”うどんは、ネギと油揚げがのったあんかけうどんのこと
・おんかけのメニューだけでもたくさんある。
・中華の行列店「マルシン飯店」では、あんがたっぷりとかかった天津飯が1番人気!
・京都には他にも湯葉丼、親子丼、ステーキ丼をあんかけスタイルにするお店がある!
・あんかけうどんは、あんだけのうどん・・・

京都産業大学 文化学科 京都文化学科准教授・笹部昌利さんの話
京都は、餡掛け料理店がたしかに多く、それは地理的な要因が大きい。
京都は、ものすごく冷え込みやすく、底冷えの京都ともいわれている。
あんかけにより、体を内から温めるということが親しまれる要因になったのではないのかと思われる。
京都は江戸時代から仕出し文化というものがあり、京都のおもてなしの一つとされている。
折詰を綺麗にしたり、食材で華やかに彩ったりするとともに暖かいものを温かいまま食べさせるというおもてなしの考えがある。

県民熱愛グルメ 「京都の鯖寿司」19/12/12

・京都市内の寿司店100軒以上で鯖寿司が提供されている。
・京都府民は、贔屓の寿司店で予約して買って帰るのが大定番
・京都の鯖寿司は、サバを覆うように薄い昆布が敷かれ、昆布の香りと味も一緒に楽しむのが醍醐味!
・京都の鯖寿司、しっかり味がついているので、京都府民は醤油をつけないまま食べるのがスタンダード

いずうさんの話
鯖寿司が現在のような形になったのは、江戸時代頃からだと思われます。
隣の福井県でよく鯖が上がった。
鯖は、「鯖の生き腐れ」といわれものすごく痛みが早い。
そのため、浜ですぐにお腹を開いて塩漬けにしたものを鯖街道を通り京の街に運搬いていた。
着いたころにはいい塩梅になっていたため、さばと御飯と昆布で巻いてお寿司を作り上げた。
お祝いの日くらいには、贅沢して鯖すしでも食べようかという、京都の人たちには大切な食べ物

県民熱愛グルメ 「はも」17/9/7

・京都市内の飲食店1400軒以上で、はもを提供していて祇園祭のある7月だけで100トン以上のはもが出回る。
・京都ではも料理といえば、はも落とし(はもの湯引き)が定番で梅肉で食べる。
・はもは体全体に小骨があるので皮を残して無数の切り込みを入れる「骨切り」が必要
・はも落としのほかに、天ぷら、はも寿司、はもしゃぶなど、さまざまなはも料理がある。
・京都市内のスーパーでも、鮮魚コーナーにはもが大量販売されている。

京都大学の佐藤健司教授の話
江戸時代初期から食べられ、魚の仕入れ先は主に若狭湾と大阪湾
京都は、内陸に存在するため夏場は大半の魚が道中で腐敗してしまっていたが、はもは少量の海水があれば生きていられるのでそのまま運ぶ事ができ夏の京都で珍重された。
はもの旬がちょうど祇園祭をかぶる事から祭り文化とはも料理が密接に結びつき京都の食文化として熱愛されるようになった。

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