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二軒目どうする?~ツマミのハナシ~ 小林幸子と「菜や おはし」で語り尽くす

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二軒目どうする?~ツマミのハナシ~ 小林幸子と「菜や おはし」で語り尽くす12/24

演歌界のラスボス・小林幸子(69)

門前仲町「菜や おはし」小林幸子と語り尽くす店

店舗名 菜や おはし / 居酒屋、魚介料理
住所 東京都江東区富岡1-3-5 一光ビル 1F
電話 03-5245-3755
営業時間 11:30~14:00 17:00~22:30
定休日 土曜日・日曜日 祝日
最寄り駅 門前仲町駅
備考 おつまみさんの名店レポート・加藤ジャンプ
一品目:本日のお刺身5点盛り 1500円
二品目:牛タン柔らか煮    800円
三品目:瞬間燻製ヒラマサ   1200円
検索サイト Yahoo!ロコ 食べログ
地図
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小林幸子と語り尽くす

~お酒は?~
飲兵衛~です。

~出身は~
新潟

~歌手になった理由~
歌は、好きだけど歌手になる気はなかった。
父には歌手になりたい夢があったが戦争という大きな壁で実現できなかった。

父に抱かれてお風呂に入れてもらった時に「浪花節」を唄ってくれた。
そしたら「幸子お前も歌ってみろや」と言ったらしい。
歌えないと思っていたら、オウム返しで歌ってびっくりして、歌に関わる人になるのかと思ったらしい。

それから、何かあると唄えと言われてきた。

小学校4年生の時に学校から帰ってきたら、「幸子おかえり!来週東京見物に連れてってやる!」と言われた。
その当地は、東京に行った人なんて町内には誰もいないような時代。
新幹線もなく急行で7時間かかる時代。

とてもうれしくて行った。けど・・・
よくわからない建物・・・テレビ局の鉄塔に連れていかれた。
オーディション会場だった。

<歌まね読本>
1962年~1967年まで放送されていた視聴者参加型のものまね歌謡番組

かってに応募していて、勝ちぬいていったら、古賀政男先生が「親御さんにお話があります。」と声を掛けられた。
「お子さんを歌手としてデビューさせる気はありますか?」
父は「はい」と答えたが、母は「絶対に反対」だった。

家族会議をしてもらちが明かないので幸子に聞こうとなった。
バナナ食べたいかと言われたら、「ハイ、食べたいです」という感覚で
「幸子、歌手になりたいか?」「はい、なりたいよ」と答えた。

その瞬間から、大反対だった母親が手を引っ張って箪笥の前に連れていき着物を出して「幸子、着物の畳み方を覚えない」今から、芸能界に行っても年も性別も関係ない世界だから、自分の事は自分でしないとしつけが始まった。

そして、10歳で古賀政男に弟子入りしてデビューが決まった。
東京に出てきて、四谷三丁目のアパートで1人で済んでいた。
小五から、一人暮らし、自炊生活が始まった。

寂しいけど、自分で歌手になりたいと決めたからには、そんなことを言ってはいけないと我慢して暮らしていた。

でも我慢が出来なくて、家に電話をして「林精肉店です!」と母が出て声を聞いたら、切って寝ていた。
母には全部バレていた。

~衝撃を受けた芸能人~
古賀先生の家でレッスンをしていたら、「先生~」美空ひばりさんが訪れてきた。

その、美空ひばりさんの年齢を超えて、演歌界の責任を感じる。

~ラスボス~
辞書を開くとラスボスの欄に小林幸子とある!?

ラスボスの所以は、紅白に34年ほど出させてもらって衣装が派手過ぎてゲームのラスボスに似ていたみたいで話題になった。

衣装トラブルなどもあった。
でも、固定されているから自分では確認できなかった。

~恋愛~
同世代は、子供にしか見えなかったので年上が好きだった・・・
でも今は、歳下が好き? もう年上があまりいないので?

<加藤ジャンプさんチョイスのお店>

加藤ジャンプさんチョイスのお店
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