朝の!さんぽ道 東京都中央区 江戸時代に徳川家康が作った大都会の中にある日本橋川沿いを深川麻衣がさんぽの足取り
東京都中央区 永代橋START→
隅田川と合流する 日本橋川を上流に向かって歩きます。
今は、工事中で川沿いは歩けないのでビルの間を抜けていきます。
東京都中央区 永代橋START→
隅田川と合流する 日本橋川を上流に向かって歩きます。
今は、工事中で川沿いは歩けないのでビルの間を抜けていきます。
隅田川から江戸城まで物資を運ぶ水路として徳川家康が整備しました。
永代橋~大福「田川堂」へ
気ママーニ 新川1丁目19−10 店舗情報:食べログ
おでん80円~ 肉詰め150円~
旬の時期限定
昔は、護岸がなかったから荷物上げしやすく、泳げたそうです。
田川堂~「鎧の渡し跡」へ
首都高 1964年 東京オリンピックの9日前に開通、当時、土地が少なく多くが川の上に建てたそうです。
金融の街兜町と築地市場をつなぐ平成通り、中央区が平成元年にその愛称をつけました。
住所:東京都中央区日本橋兜町1−1
鎧の渡し跡は、日本橋川に通されていた小網町と茅場町との間の船渡しです。
古くは延宝七年(1679)の絵図にその名が見られ、その後の絵図や地誌類にも多く記されています。
伝説によると、かつてこの付近に大河があり、平安時代の永承年間(1046~53)に源義家が奥州平定の途中、ここで暴風・逆浪にあい、その船が沈まんとしたため、鎧一領を海中に投じて龍神に祈りを捧げたところ、無事にわたることができたため、以来ここを「鎧が淵」と詠んだといわれています。
また、平将門が甲とよろいを納めたところとも伝えられています。
この私は、明治五年(1872)に鎧橋がかけられたことにより無くなりますが、江戸時代に通されていた私の風景は、「江戸名所図会」などに描かれており、また俳句や狂歌などににも読まれています。
「縁日に 買うてぞ帰る おもだかも 逆さにうつる 鎧のわたし」和朝亭 国盛
鎧の渡し跡~「兜神社」へ
洋風の建物が多く残る兜町 関東大震災の復興事業によって近代的な町並みに生まれ変わったそうです。
住所:東京都中央区日本橋兜町1−12
主なる祭神は商業の守護神とたたえまつる倉稲魂命である。
兜神社は商業の神様がまつられ、金融街の守り神とされています。
境内にあるのが 「兜岩」源義家がこの岩に兜をかけ戦勝を祈願したことから名がついたそうです。
兜神社~3分で帯締め「日本橋 谷屋」へ
港区と台東区までを結ぶ昭和通り、昭和の初め頃に作られました。
そして江戸橋には地下鉄の換気口があります。
住所:東京都中央区日本橋室町1丁目8−7 B1F
創業から170年以上の歴史を持つ 老舗呉服店
着付けには普通30分以上かかりますが…3分で切れる着物
着物と内襦袢をマジックテープでつけ簡単に羽織れるようにし、ゴムで結べるようになっています。
3分ほどで着物が着られ帯を締めれば着付けが完成、1人でも簡単に着られる画期的な着物です。
いただきものとか、着物をこの形に 新しく作り直すこともできるそうです。
日本橋 谷屋~まぐろ丼「日本橋室町 豊年萬福」へ
蔵造りの川の上にテラス席を造った都内で初めての日本料理の店
日本橋川の水辺の風景を楽しみながら 食事ができます。
オススメは日本近海で獲れた国産本マグロやズワイガニの天ぷら しらすネギトロが乗ったランチ限定の海鮮丼
日本橋海鮮丼1200円 ※ごはんおかわりじゆう
築地ができるまでは魚河岸だったそうです。
道路元標 江戸の中心にあった日本橋
東海道など五街道の起点に定められ全国の物資が集まり発展しました。
横浜市まで29㎞ 大阪市まで550㎞ 鹿児島市まで1469㎞…主要都市までの距離が書かれています。
コメント