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新説!所JAPAN 歴史ミステリー 本能寺の変の新事実「明智光秀」

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新説!所JAPAN 歴史ミステリー 本能寺の変の新事実「明智光秀」4/13

1582年6月2日
400年以上前 京都・本能寺で起きた大事件”本能寺の変”
主君・織田信長を家臣の明智光秀が裏切り、自害に追い込んで大事件

信頼関係のあることしか記されていない明智光秀の動機は、未だに不明

フロイス日本史
信長と親交が深かったポルトガル人宣教師”ルイス・フロイス(1532-1597)”がまとめた歴史書
「信長と光秀の間に起った出来事
櫃秀が信長の意見に反論、信長が逆上し光秀を足蹴にした。」
従順だった光秀が信長に反論

滋賀「明智光秀の戦国デビューの記録をよむ」

1528年 光秀誕生

 約40年不明
 どこで生まれ何をしてきたか不明

1570年頃 信長の家臣となる
1582年頃 信長と口論
1582年6月2日 本能寺の変

「新薬方」新たな古文書により
明智十兵衛(光秀)が高嶋田中城に籠城 永禄九年(1566)
当時30代後半ごろ、滋賀県・田中城で医術の知識を口伝し、三好と戦っていた。

この当時、身分の低い足軽だったといわれていて、デビュー戦
三好一族を食い止める拠点となった田中城で室町幕府を助けるために奮闘していた。

三好:四国・徳島県を収めていた豪族、室町幕府を追い込み、織田信長より早く京都へ勢力を伸ばす。

城郭考古学者:千田嘉博
「田中城は、今まで注目されるような城ではなかった。」

石垣も店主もない戦国時代の小さな山城
元々、お寺があった小高い丘に守りを固める仕掛けを各所に配置 自然を利用した要塞

動物避けの柵があるが誰でも入ることができるそうです。
山頂まで45分

切岸:敵が登ってこれないように人工的に削った急斜面
土塁:土を盛って造られた人口の壁
のろし台:敵を見張ったりのろしを上げる高台
つぶて石:侵入してきた敵に向けて投げる武器

岡山「明智光秀・裏切りの真相に迫る」

磯田先生は、岡山出身 先祖は、岡山藩の分家でゆかりの地

【太刀 銘 光忠】(重要文化財)
鎌倉時代の名工・光忠の作
刃文の映りが立つ
刃文:焼き入れによって刀身に現れる波模様

この名刀が信長と光秀の口論に関係してるのでは…?

信長は、光忠が好きで20本ほど収集していた。
光忠にハマるきっかけとなったのが”三好” 光秀の宿敵
三好一族が討たれた後に光忠を回収して、三好一族が室町幕府から手に入れた財宝に魅かれるれることになる。

このことが信長の四国外交方針にも影響を与えているといわれていて、これが光秀に討たれるきっかけになった?

本能寺の変 四国説

東日本を制した信長は、西日本統一に乗り出す。
四国統一の責任者に光秀を任命
光秀は、長宗我部元親に三好家を責めさせる。

信長の心変わり、 光忠があってかなかってか三好家と接触し仲良くなりだす。
そして、三好に四国の領地を分けろと光秀に命令

光秀が信頼している長宗我部元親も滅ぼそうとも計画していた!?

信長は、三好一族の大阪湾・瀬戸内海を自由に渡れる制海権も欲しかった。

【石谷家文書】
光秀と長宗我部のやりとりなどが巻物にまとめられた文書群
[斎藤利三書状]
「信長がだしている四国の領地分けも元親のためになるから」と光秀は説得
天正十年正月十一日 本能寺の変の半年前

長宗我部「何事も何事も頼みます 命より大事な土地を信長に差し出すから信長の交渉をお願いします。」

ポルトガル人宣教師”ルイス・フロイスの内容に結びついた。

明智光秀を解任
織田信長と三好は組み 長宗我部への進軍を決定

1582年6月2日 織田郡四国攻めを決行 本能寺の変の当日

これがきっかけに明智光秀が本能寺の変を起こすきっかけに!?

【近衛前久書状】
明智光秀と親しかった公家・近衛前久の手紙

佞人(ねいじん):口先巧にへつらう心よこしまな人
讒訴:陰で他人の悪口を言う事

関白:近衛前久 天皇を除けば一番家柄が良い人で佞人に困らせられていた。
近衛前久も長宗我部を護るために尽力

佞人:三好側が有利になるように信長に近づき陰口を吹き込んでいた人物

本能寺の変が引き起こされたのは信長が光秀を裏切ったからと考えられる!?

「時は今 天(あめ)が下しる 五月哉(かな)」

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